自分の住む盛岡は震度4と大きな揺れはあったものの、それほどの被害もなく事なきを得たが、震源近くの地域に住む方達は、今も避難所生活を強いられている方も大勢おられるようで、心からお見舞い申しあげたい。
そんな大地震に見舞われた6月14日。この日は運悪く、新潟の母親が岩手に遊びに来る日でもあった。
地震発生時刻の午前8:43。この時母は上越新幹線に乗るために新潟県の長岡駅のホームに立っていた。
久しぶりの孫や息子夫婦との再会に胸を躍らせながら待っていたのだが、時刻になっても電車があらわれない。するとそこでアナウンスが流れる。
「岩手県で発生した地震の影響で電車が遅れております。」
気持ちが不安へと変わる。
すぐさま息子の携帯に電話するが、電話が込み合っているためつながらない。
程なくして長岡駅のホームの新幹線が到着する。岩手の状況も分からないが、とりあえず新幹線に乗り込み、一路大宮へ向かう。
不安を抱えながらも大宮までは問題なくたどり着く。しかしそこで待ち受けていたのは驚愕の事態であった。
東北新幹線が運行停止。
ここで母の選択肢は2つ。
岩手に行くのをあきらめて新潟に戻るか、いつ復旧するか分からない東北新幹線の運行再開を待つか。
結論からいえば、この日東北新幹線は盛岡までの運行再開にはいたらず、結局の所『帰る』という選択肢しか残ってはいなかった…
しかしここで救世主が現れる。
たまたま新幹線の隣の席に乗り合わせた方も盛岡に行く所だったのだ。
その方は、困っている様子の母に「なんとかなると思いますから、一緒に行きますか」と声をかけてきてくれた。
ちなみにその方は、岩手の住宅関係の会社の社長さんであり、岩手と新潟を何度も行き来しているようで、かなり旅慣れた方であったとのこと。
それにしてもさすが社長さん。人間としての器がでかい。
こうして盛岡上陸作戦が始まった。
作戦としては、大宮から在来線で宇都宮に向かい、そこで乗り換えて福島に行く。
福島からは、たまたま福島に車で来ていた社長さんの部下の方がいるので、その方の車で盛岡まで乗せてきてもらうというものであった。
早速大宮から在来線に乗り、宇都宮まで行くがここでまたトラブル発生。
福島までの電車が運行停止しており、福島まで行くことができない。
そこで、行けるギリギリの那須塩原まで行き、そこまで部下の方に車で迎えに来てもらうこととなった。
午後1:00。那須塩原駅で少し遅い昼食を食べていると、部下の方が到着。車に乗り、一路盛岡を目指す。
高速に乗り、順調に行けば4〜5時間。これでようやく一安心だと思っていたのだが、ここでまたトラブル発生。
仙台に差し掛かった時、突然車から異音が。まさかのエンジントラブル。
どうやらミッションが故障したようで、高速の途中で立ち往生してしまう。
JAFを呼び、近くのインターまで運んでもらうが当然車はすぐになおるわけでもなく、ここで足を失ってしまう。
万事休すかと思われたその時、そこにまた一人の救世主が現れる。
その救世主とは社長さんの奥さん。
車が故障した時、JAFを呼ぶのと一緒に奥さんにも迎えの連絡をしてくれていたようである。
そんなわけで、その後は何事もなく順調に進み、午後8:00、ようやく盛岡に到着し、盛岡上陸作戦は幕を閉じた。
本来ならば昼の12時頃に着く予定だったのが、8時間も余計にかかってしまったことになる。
しかし時間がかかったとは言え、よくたどり着くことができたものだ。
それもこれも、偶然出会えた社長さんやその奥さんのやさしさ。そして母の執念が実らせた結果であろう。
本当にこの社長さんには感謝してもしきれない。
困っている人がいれば手を差し伸べる。当たり前のことだけど、いざそういう場面に遭遇した時、簡単にできることではない。しかも自分も困難な状況にある時ならばなおさらだ。
それをさらりと行えるこの社長さんのような人間に自分もなりたい。






